明日を信じて 05かごしま春
作者: 南日本新聞   

2005年1月3日 掲載

 

2005minamite

 

9・11後に平和の歌を

ざわついた客席が静まり返る。

鹿児島市山之口町のシャンソンライブの老舗「ソワレ・ド・パリ」の舞台。

櫻美穂さん(23)=本名 加藤美緒=が、艶のある感情豊かな歌声で、独自の世界に引き込んでゆく。

1993年から歌手の母・和子さんが「ソワレ…」の経営を引き継いだ。クリスマスのこの日は母娘共演。

スタンダード「さくらんぼ実る頃」を絶妙なハーモニーで聴かせた。

美穂さんは昨年、アマチュアシャンソンコンクール全国大会で600人の頂点に立った。

和子さんは「シャンソンは大衆の喜び哀しみのうた。

内外に目を向け、経験を積めばもっと味が出る」と期待する。

美穂さんが鹿児島短期大学声楽家2年だった2001年9月のこと。

母が携わるボランティア団体がインドに産婦人科病棟を贈る式典に参加した。

インドでは、その日食べるのも精一杯の人々が大勢いる。

物が溢れ、飽食の日本とはあまりにかけ離れた現実。

初めて自分の目で見て哀しみが募った。

訪問した学校では即興で歌った。経済的に豊かではない子供たちの目が輝く。

「歌で人に元気を与えたい」ぼんやりとしていた目標が鮮明になった。

インドでもうひとつの事件があった。

ステイ先の家で見た衝撃的な映像。9・11米同時多発テロ。

「なんでこんな事になったのと愕然とした。インドにいる自分の危険すら感じた」

短大卒業後の2002年から母の店を手伝い、舞台にも立つジョンレノンの「イマジン」をもち歌に加えた。

インドでの体験を通して詩に広がる境界のない世界観に強く共感したからだ。

音楽活動の傍ら「チベットに小学校を」「アフリカに植林を」という運動に携わる母に刺激され

チャリティーイベントにも積極的に参加するようになった。

そんな中、再び転機が訪れる。母の友人で東京のシャンソン歌手槇小奈帆さんとの出会いだ。

2003年暮れ、母の店でLIVEがあった。「反核音楽家の集い」や「国境なき医師団」支援を続ける活動派。

槇さんのパワフルな歌に「魂を感じた」

LIVE後、「シャンソンをやってみない??」と誘われた。

母の勧めもあり、東京でレッスンを受けることに。

鹿児島との往復が始まり半年後「日本一」に輝く。

家族を始め、巡りあった人々への感謝の気持ちでいっぱいになった。

「歌でこたえていく」心にきめた。

クリスマスライブで母と歌った「さくらんぼ実る頃」は19世紀に起きた戦乱による悲劇を描く。

シャンソンには恋愛ものが多いが、反戦歌も少なくない。

泥沼化するイラク戦争や、繰り返されるテロ、そして災害、貧困。

「そんな世の中だから大事に歌い継ぎたい」美穂さんはそう思う。

2005年を迎えた。

世界各地で紛争、貧困が続く。人々の苦悩は様々だが、支え励まし合って生きている。

歌で平和を訴える人、病気の子供に夢を与える人…。

明日への力を信じ鹿児島で働く人がいる。